領民の安寧を願った北条早雲公
早雲寺殿廿一箇条(そううんじどのにじゅういっかじょう)、四公六民など民や家臣を大切にするその思想について。
出自不明と未だ謎の多い北条早雲。
斎藤道三、松永久秀と並ぶ日本三大梟雄(きょうゆう)と呼ばれる事が多いが、応仁の乱をきっかけに、治世の根本は民衆の信頼が大事。と民衆の実情に通じるよう努め、領民の安寧を理想とする国づくりを行った。
官位を希望せず、禅を学んだ教養人でもある。
領民に慕われた北条早雲の領国経営に今の時代学ぶところも多い。
*梟雄(きょうゆう)とは「残忍で強く荒々しい、悪者などの首領」。
早雲寺殿廿一箇条(そううんじどのにじゅういっかじょう)、四公六民など民や家臣を大切にするその思想について。
戦国時代の魁として知られる北条早雲は、備中荏原荘(岡山県井原市)を治めていた伊勢氏の出身とされる。当時の史料では、伊勢新九郎盛時(長氏)と名乗り、伊豆に入ってからは入道名の宗瑞、早雲庵宗瑞と名乗っている。
皆が平和に暮らせる理想国家づくりを目指した北条五代の紹介と、その支配領域について。
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