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戦国時代を駆け抜けた北条早雲の生涯

備中から駿河 そして相模へ

戦国時代の魁として知られる北条早雲は、備中荏原荘(岡山県井原市)を治めていた伊勢氏の出身とされる。当時の史料では、伊勢新九郎盛時(長氏)と名乗り、伊豆に入ってからは入道名の宗瑞、早雲庵宗瑞と名乗っている。本人は北条早雲と名乗ったことは無く、伊勢姓から北条姓に改姓したのは二代氏綱の時代である。

父伊勢盛定に家督を譲られた後、申次衆として活躍。さらに、姉の嫁ぎ先である駿河の今川家の家督争いを収め、今川家と幕府との間に立ち、興国寺城(静岡県沼津市)の城主として駿河国に留まった。

関八州、五代百年 繁栄の礎を築く

その後、内紛していた伊豆国を平定し、小田原城を攻略。さらに分裂していた上杉家や古河公方を一掃し、相模国の大半を手中におさめた。一代で伊豆と相模の大半を平定し、領国経営にも手腕を発揮。関八州、五代百年にわたる北条家の繁栄の基礎を築くとともに、後の戦国大名の模範とされた。

斎藤道三、松永久秀と並ぶ戦国三大梟雄(きょうゆう)と呼ばれる事もあるが、実際には治世の根本は民衆の信頼が大事であると領民の安寧を理想とする国づくりを行った。官位を希望せず、禅を学んだ教養人でもあった。

永正16年(1519年)、64歳の生涯を閉じた。

1456年 この年生まれる。父は伊勢盛定、母は伊勢貞国娘。
1467年 応仁の乱が起こる。
1483年 はじめて室町幕府の申次衆に加えられる。
1493年 扇谷上杉定正支援のため、相模・武蔵に出陣。伊豆に侵攻し茶々丸を追う。
1495年 地震が起き、相模湾岸に津波が押し寄せる。甲斐に侵攻。
1498年 大規模地震、津波で駿河湾岸など被害を受ける。深根城を攻略し、関戸吉信を討つ。茶々丸自害。
1500年 小田原城奪取。
1504年 今川氏親・扇谷上杉朝良の連合軍が立河原の戦いで山内上杉顕定を破る。
1506年 今川氏親支援のため、三河に出陣。
1512年 鎌倉を支配下に置く。
1518年 小田原城入り。虎朱印の使用などについて定める。
1519年 伊豆韮山城で死亡。

早雲の足跡

■高越城(岡山県井原市)

北条早雲、生誕の地と言われる。高越城で伊勢盛定の次男として生まれ、青年になり京に出仕するまでこの地で過ごした。高越城から3kmほど西方には、早雲の父である伊勢盛定によって開かれた法泉寺がある。

画像:北条早雲誕生の地、にある高越城址。(岡山県井原市)

■興国寺城(静岡県沼津市)

駿河守護・今川家の家督争いを鎮めた功績により、東駿河の領地と共に与えられた城。 その後、五代百年におよぶ小田原北条氏の基礎を作った早雲の、戦国大名としての第一歩を踏み出した城がこの興国寺城であり、早雲旗揚げの城と言われている。海上に突き出した小丘全体が城で、戦国時代の北条水軍の根拠地と言われた長浜城址も沼津市にある。

画像:家督争いを鎮めた功績によって与えられた興国寺城跡。(静岡県沼津市)

■韮山城(静岡県伊豆の国市)

堀越御所を攻め落とした早雲が築き生涯の居城としたのが韮山城。伊豆の国市にある。永年16年8月15日、韮山城で死亡した。

写真:韮山城址。(静岡県伊豆の国市)

■修善寺(静岡県伊豆市)

早雲は、伊豆国に討ち入る機会を狙うために湯治客を装い、修善寺を訪れ、伊豆の情勢を伺っていたと言う伝承もある。韮山城で死亡した早雲は修善寺で荼毘にふされた。

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